(旧「勅使河原蒼風データ」より)勅使河原蒼風の家族・親族に関するデータ

2020年8月9日

(旧「勅使河原蒼風データ」から引き継いだ記事です)勅使河原蒼風の家族・親族たちのデータです。
草月流の稽古場に通っている門弟でも、意外と知らないことが多いので、ここでまとめておこうと思います。

※以下、すべて敬称略にて失礼しております

勅使河原蒼風の家族・親族に関するデータ

勅使河原和風(久次)

勅使河原蒼風の父。本名 久次。マメで、几帳面な性格だったという。
長男の蒼風に、跡を継がせようと考えており、蒼風が幼い頃から厳しく教育した。(蒼風は、〈姉・蒼風・妹・妹・弟〉の五人兄弟)

「和風」の号を考えたのは蒼風。花の仕事では久次を名乗り、絵や書を書くときに和風を使った。

「日本生花学会」を主催し、新しいいけばなのかたちを求めた。いけばな改革を強く叫び、蒼風いわく「さけび過ぎて人が近寄らなかった」。
形にとらわれない人で、大正時代の、花の師匠は和服を着るのが当然の時代に、ルパシカを来て稽古に出たという。
いけばなの教授方法も、角度やバランスを数字で説明し、学校方式の稽古場運営を導入し、近代的ないけばなのあり方を開拓した。

蒼風に自分の後を継がせるべく、いけばなの英才教育を施したが、後に父と息子は訣別し、蒼風は家を出てしまう。
和風が、本当には蒼風と草月流をどう評価していたのか、公式なコメントは残っておらず、残念ながら不明である。

昭和6年、和風が亡くなった後に、「日本生花学界」は、蒼風の弟が継いだ。現在は「勅使河原和風会」と名を変えている。

勅使河原宏(蒼風の長男)の回想によれば、「おじいさんの家に行くと、いつも鍋焼きうどんをごちそうしてくれた」とのこと。

勅使河原八十(やそ)

蒼風の母。

玉木愛石

蒼風の伯父。書家。

小野鐘山

蒼風の伯父。書家。

勅使河原霞

蒼風の長女。草月流の二代目家元。
蒼風は、霞に後を継がせたいと考えたためか、親子間の甘えた稽古になることを嫌い、霞にも自分の小遣いから月謝を払わせ、厳しく稽古した。

勅使河原宏

蒼風の長男。蒼風は、息子を特に家元に育てようとはしなかったため、草月流とは別の、自分の好きな道に進み、映画監督、陶芸家となる。しかし、妹:霞が急逝したため、予想外に家元を継ぐことになった。

1980年に草月流三代目家元を継承。1992年、紫綬褒章を受章。1996年、フランス政府より芸術文化勲章を受章。「家元業よりも、映画監督業のときの方が楽しそうだった」との証言もある。

勅使河原茜

勅使河原宏の次女。蒼風にとっては孫。草月流四代目家元。

勅使河原ハマ

蒼風の妻。藤沢の生まれ。
元は、久次(和風)の教室に入門してきた弟子の一人。それ以前に、古流いけばなを習った経験があったが、友人に誘われ、なんとなく久次(和風)の教室に入ったのが、大正13年のこと。

その後、久治に「嫁に」と強く求められ、二度断ったが三度目は断りきれずに承諾し、勅使河原家の嫁に入る。細かい家事のことは、なぜか久次、蒼風の男二人が主に教えてくれたという。

草月流

Posted by sei