高台寺の竹

2015年12月21日

※旧ブログの記事です

14日(月)より、16日(水)まで京都を旅しておりました。
この時期、さすがの京都も、年間を通じて観光客が少ない時期にあたる。
とは言っても、あっちこっち観光客だらけなのだが、他のシーズンに比べるとずいぶんましであるらしい。
初日の14日は、東山方面をぶらついた。

京都は、椿の大木が多い。一見して100年ほどは経っていると思われる椿が、寺社の中には多く見受けられる。
そして、松は赤松が多い。よく切り詰められた赤松の美しさ、強さに、目を奪われる。

東山の「高台寺」という寺をのぞいた。
ここは、秀吉夫人:ねねが開創した寺である。秀吉没後、その菩提を弔うために、彼女が建てたのだそうな。
庭のつくり、堂の中の装飾が非常に贅沢で美しい。寺の広さはそれほどでもないのだが、桃山の華麗な文化が凝縮され、見ても見飽きない面白さを持っている。
桃山期とは、不思議な時代である。
簡素と華麗な文化が両立し、しかも高めあった時代なのだ。その両者はこの寺にも存在していて、優美で華やかな蒔絵・凝った造作の庭・天井まで絵画で装飾された堂などとともに、侘びそのもののような茶室が、当然のような顔をして同居している。
同居しても、別段違和感は無い。両方ともが、美を追求した結果だからなのだろうか。

この時代の文化=簡素・華麗のいずれの方向とも、遊び心に富み、更に後の、江戸の庶民文化とは、また一味違った「自由」が感じられる。

人間の精神は、本来自由であるはずのものなのだろう。
人間の文化とは、ある自由から、別の自由へと、飛び石を飛ぶようにぴょんぴょん移動していっているのではないか? なぜか、人間は一所に滞在することができなくて、常に飛び移る先を探しているのではないか? 美術史とは、「自由」を様々な形と角度から眺めてきた観察記録なのではないか…?
…というのは、私が高校生のときに、なんとなく思った「びじゅつろん」である。正しいとは思わぬが、そう大はずれでもないと思っているのだが…いかがだろうか。

秀吉が死んだ後に、こんなの作る力あったんか。ねねさん、あんたもなかなかやるね、と思った。庭の図面を書いたのは誰かと思ったら、小堀遠州だった。なるほど、小堀君か。
小堀君には、どの程度の裁量が任せられたのかな。
私の想像では、ほぼ完全に「自由に作ってよし」だったのではなかろうか。なぜなら、この庭のつくりが、洗練された遊び心に満ちているからだ。

敷地の一角に、竹林があり、その中の道を歩いた。竹林を渡る風は、さやさやとやさしい音をたてる。
竹林は、よく手入れされていることが一見して明らかであった。

竹林の中に、月からやってきた姫の幻想を見る文化は、ひょっとして、江戸が獲得できなかった文化かもな、と、ふと思った。

その他

Posted by sei