モダマ

2021年7月1日

以前は、「ナタマメ」の方がスタンダードな呼び名でした。

現在でも、「ナタマメ」で通じます。けど、「ナタマメ」という名称は正しくないのです。
ナタマメは、下のような豆で、モダマに比べるとずっと小さいです。

この、モダマ・ナタマメ問題は、食品の分野で言うところの「芝エビ・バナメイエビ」と一緒のことです。ウソをいっているんじゃなくて、「習慣でそう呼んでる」んです。
私は、若いころからこれを「ナタマメ」と呼んできたので、長いこと「モダマ呼び」しないで過ごしていました。ところがある時から、「ナタマメ茶」というお茶が出回るようになって、「ナタマメ」の名を知る人が巷に増え始めました。すると、モダマを「ナタマメ」と説明してしまうと、
「ナタマメ茶のナタマメって、これですか!」
という人が続出し、それを訂正するのが申し訳なくもめんどくさい、という状態になり、私もいつしか「モダマ」と呼ぶようになりました。
……ナタマメ、という呼び方、この植物が人に与えるインパクトにふさわしい名前で、良かったんですけどね。

モダマは、ホントに鉈でないと切れないような巨大豆です。

↑スマホの大きさと比べてみてください。ちょっと笑っちゃうくらい大きいです。人によっては、「作りものだ」と思い込んで、これが豆の木にホントになっているのだと言っても信じてくれないほどです。

このモダマは、茶色に乾いてカチカチです。フレッシュのうちは、いくらなんでも緑色じゃないかと思うのですが、フレッシュでは出回らないのでわかりません。

怪しさ、荒々しさ、不思議さ、面白さ……いろいろなものを感じます。
これをいけばなで使うときには、ここぞというところに、不思議物体、面白物体として投入することが多いように思います。
モダマは、あまりにも一つの物体として出来上がっているので、ディスプレイの分野では、ただ置いといたり、吊るしといたり、という使い方をよくします。

私は、今ではそうでもなくなりましたが、20代のころには、この豆にはとにかく非日常性を感じていました。いつしか非日常の壁を越えて、私の日常に入ってきてしまいましたけど、それでも完全なる日常に埋没してはおらず、いまだにロマンをたたえる素材です。

モダマは、さやの中にちゃんと豆があり、振るとカラカラと音がします。さやを切ってしまえば、中から豆を取り出すことも可能です。
私は、モダマを切ったことは一度しかありません。そのときに中から出てきたのは、黒くて大きな、コースターくらいの大きさの平たい豆でした。多分、熱処理していると思うので、あの豆をまいても発芽しないと思いますが、なんだかあの豆も、非日常のロマンを感じるものでした。