いけばなが下手な人の独白

2015年11月25日

※旧ブログの記事です

私は、自分が「本質的にいけばながうまい人ではない」ことを知っている。

私は、ずいぶん長いこといけばなを続けてきたし、いけばなについては、ほかのことよりも格段に積極的であった。
そうすると、世間には、「上手いからガンバっているのだろう」と解釈してくださる方が出現する。
いえいえいえ、そうじゃないです、と言ってみても、あまり信用してもらえない。
私の作品を見てご覧よ、先天的なきらめきなんか感じないだろう、と思うのだが、人は一度持った印象を、なかなか変えてはくれないものだ。

あまりにも信じてもらえないから、最終兵器をお見舞いしてやろうか? 私は、普通の人なら2~3年で取れる免状を取るのに、8年ほどもかかっているのだ。どうだ、まいったか!

私が、自分で「もともと下手だ」と思っているいけばなを、なぜ続けてきたかというと、それはおそらく植物と言う素材の偉大さに関係してくると思う。

このブログでも何度か書いてきたが、私は小さい頃から、ものを作るのが人より下手下手なのである。そして、痛いことには、「ヘタヘタだ」と見極める目は、なぜか人よりも厳しい。
すると、自分の創ったもののみっともなさに、完全に本人が打ちのめされてしまう。

ものを作ることは、人間にとって、本質的には喜びであるはずなのに、作るたびに打ちのめされるものだから、いつしか「物造り=苦痛」という、不幸な公式を持った人になってしまう。私は、いまだに人の前で絵を描くことができない。簡単な、説明書きみたいな絵でもダメである。(矢印描いても下手だといわれたことがある!)
だから私は、小学校のときの図工の時間は、地獄のようだった。
中学の、美術の時間も地獄だった。
よくも9年間耐えてきたと思う。高校生になって、美術から解放されたときには、心底嬉しかった。

じゃあ、そんな人間は、ものを作りたい衝動を捨ててしまうのかというと、恐ろしいことにそうではない。
私の場合、下手がゆえに、ものを作ることには、いつだって憧れの念を持っていた。そして、消化されない衝動が、じわじわたまっていることさえ知っていたが、その衝動が報われることはおそらく無いと思っていた。

私はもともと、作ることはキライじゃない人間だと思うのだ。
その人間が、自分の創ったもののみっともなさを直視するのは、かなり厳しい現実だった。私は、幼稚園に入ってすぐくらいに、自分の手が作るものの惨めさに気づいていた。
自分の創ったものだけが、ほかの友達のものよりランクが低いことを、おっそろしく的確に見抜けたのである。(幼稚園生でも、創意にあふれ、もの造りの仕上げが見事に美しい人がいるものだが、あれは一体どうなっているんだ?)
お絵かきも、折り紙も、工作も、手で作るものすべて、私にとっては残酷だった。残酷さとわざわざ付き合いたいと、誰が思うだろう。

私が、いけばなだけは一生懸命やったのは、いけばなだけが私に残酷じゃなかったからである。
それは、私の手が「いけばな向き」だったからではない。
植物という、あまりに偉大な素材が、私の破壊的な手にかかっても、美しい姿を持ちこたえてくれたからである。
破壊的不器用者は、いけばなに出会って、初めて「物としてみっともなくない」創作の結果に対面したのだ。作品として、ほかの人よりは下手だったのだろうが、それでも芍薬(初めていけた稽古の花材。忘れられない)の美しい花がみっともなくはならなかった。それは、まるで楊貴妃みたいに美しかった。
いけばなは、私に残酷ではなかったのだ。

周り全員残酷なヤツばっかりで、一人だけ普通に接してくれる人がいたら、人間はどうするだろうか?
絶対に、その人だけにすがって生きていこうと思うに決まっている。
私がいけばなと、いまだにつるんでいるのはそういうことなのだ。
これは、不幸なのか幸福なのか、本人にもまったく分からない。あるいは、道としては間違っていたのかも知れぬ。

私は、今でも自分が「根っこのところで物造り下手」であることを自覚している。いまだに、手に負う造形のノウハウは、人の三倍くらい努力して、やっと十人並みだ。(逆に、これはどんな不器用さんも、人の三倍努力すれば並みになれることの証明である。少なくとも私程度にはなれるぞ!)
そして、自分に無いせいか、「先天的にセンスが別格の人」を、わりと敏感に嗅ぎ当てることができる。

職業にまでするのはどうか分からんが、いけばなと出あったこと自体は、私にとっては幸福であった。10歳で出あったことも、幸福だったといえるだろう。
もしも、大人になるまでいけばなに出会えなかったら、私は満たされない衝動の悲しみを、一体何で癒すことができたか、想像することさえできないのだから。

その他

Posted by sei