昭和24年の謎を解け!

2015年11月23日

※旧ブログの記事です

世の中には、ブログを一日に20回ほども更新するつわものがおられるそうな。
うちのような、怠け者ブログは、到底そんな真似はできそうもない。

しかし、うちの本家サイトは、ああ見えてほぼ毎日「追加」か「手直し」が行われている。それは、主にこのカテゴリのページである→勅使河原蒼風データ

この勅使河原蒼風データは、基本的に、ページを増やそうが、何を作り変えようが、一切告知を行っていない。だから、本サイトの常連さんでも、私がこのページを特に育てていることを、知っている人はいないはずだ。

本家サイトは、植樹マンだの、ビールメーカー対決だのを扱って、おちゃらけているようであるが、私が本当に大切にしているのは、実は勅使河原蒼風データの作成だったりする。
何度も言うが、蒼風氏の謎を解かない限り、近代いけばなの謎は決して明らかにできないだろう。
私は、誰か名探偵が現れて、いつかこの謎を解決してくれると信じて、「足の捜査」「つぶしの捜査」を行っているつもりなのだ。

少し本格的に草月流いけばなを勉強されている方は、ほぼ全員が「蒼風先生はすごい」と思っている。
しかし、蒼風先生の「すごいの何たるか」を知りたいと思う人が、驚くほど少ない。

蒼風氏は、要するに何がすぐれていたのか、それはどこから手に入れたのか、などの疑問を提出してみても、皆さん興味が無いみたいだ。

「だって、蒼風先生だもん」「蒼風先生は、一種の天才だからね」

これですべてを片付けて平気な人の何と多いこと。
そんなことを、ほかの学問の分野で口走ったら、誰にも相手にしてもらえない。
学問どころか、趣味の集まりだって、普通はそうはいかない。
「蒼風先生はすごいから」は、結論にしちゃあ駄目なところだ。(基本的立ち位置を「蒼風先生はすごい」に置くことはダメじゃないと思うが)

私は、草月流門弟は、全員蒼風研究に精出すべし、とは言わない。
しかし、「だって蒼風先生はすごいからね」で立ち止まるのが、草月流師範の標準であるならば、それは、あまりに浅い見解だと思う。

蒼風氏には謎が多い。
「昭和24年の謎」と「昭和8年の謎」は特に大きい。
そして、「マッスの謎」「巨塊の謎」だ。
あの巨塊は一体どこから来たんだ? どこで、いつノウハウを入手したのか。蒼風先生は天才だからできたのよ、とは言わせない。

戦前から、あれをじわじわと構想していた、というのは無しだろう。そんな作品が作れる世の中になるとも、思っていなかったかもしれないのだから。
戦後、突如としてあのような作品世界に、人間は飛べるものなのか。なんらか、準備運動というか、助走期間があったはずだ。たとえ、蒼風先生が大天才だったとしても。

私は、昭和8年と、昭和24年の間をつなぐパイプであり得るものは何かと考えている。
蒼風先生の謎は、有益な謎だ。
この謎は、解く価値がある。
蒼風氏の謎が沈む混沌の中には、いけばなの本質的な謎が、絶対に一緒に存在しているはずだ。

その他

Posted by sei