道具部屋を整理したために、解脱しかかっている人の独白
道具部屋に、素材がたまりすぎたので、古すぎるもの、もうキレイじゃないだろうと思うモノを整理しました。いわゆる、断捨離というやつです。
物を捨てていて、我に返りました。
なんでこんなに大事に持ってたんだろう。要らないと思えば要らないのに。無くなっても、何も生活困らないのに。むしろ、こんなものがあるから生活が制限されるんだ。私は、長年にわたって何をやってきたのか。
そうだ、もう、新しい器を買うのなんかやめよう。
人様の個展に行って、買わないと出られないようなところに追い込まれても、花器はもう買うまい。食器でいいじゃないか、ぐい飲みとか、ちっちゃいやつで。それで、義理だけ果たせばいい。
本も、どんどん手放していこう。大事な本こそ、自分で手放さないといけないんだ。
私の本棚には、「これだけは、どうしても未来に届ける。私が死んだときに、わけのわかっていないやつに処分させるわけにはいかない」と思っているものが数冊あります。本と言うか、美術品の領域に近いものです。私には、20代の頃に、「死んでも守る」と決めた本があるのです。
あれを、そろそろ手放そう。もういいだろう。十分に幸せにしてもらった。しっかりお別れを言えるうちにそうしよう。
そして、こっちのブログで作っている、「欲しい本リスト」。これには大いに問題があることが、実はずっと前から自分にはわかっていた。特に問題があるのが、「老い先短いのに買っていいのだろうかと思っている本」のリスト。こんなもん、買えるわけないでしょう。買えるわけないものが100冊超えって、どういうこと。
買えたところで、もう私なんぞが持っているべきではない。私が持っていたら、きっと大部分がゴミとして処理されてしまう。
全部、全部夢だったで、いいじゃないか。幸せな夢だった。そのために生きても良いほど、幸せな夢だった。蔵書票作家の皆さんごめん。私は皆さんのパトロンにはなれなかった。それでも独自の洗練された美を持つジャパニーズ・エクスリブリスは絶対に滅びたりしないから、何の心配もいらない。
エラリー・クイーンの文庫本一そろいと、クイーンダム一そろいと、アステア映画一そろいあれば、それで生きていけるんじゃないかしら。
草月誌も、本部に全部そろってるんだから、うちに無くてもいいじゃない? 小学生の時から使ってる丸水盤も、もう捨てよう。あと古い剣山も。
ベランダの、お稽古花材を挿し木したバラとかも、全部処分しよう。どうせそろそろ大規模修繕があるから、整理しないといけないんだ。
よし、整理する。何もかも整理する。
モノなんて全部手放して、漂泊の旅に出るんだ。
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