作者、自作を語る

※旧ブログの記事です

作家とか、画家などの、表現者が自分の作品について語ることがある。また、自分の創作方法について語ることがある。
作者本人が、「私の○○は、○○を表しています。○○○を表現するのに努力しました」などと言えば、それは、誰よりも本人の言葉なのであるから、「公式」として世間は認知することになるだろう。

しかし、私は、そういうものも、一抹の「不正確性」を持っているんじゃないかと思うのである。
例えば、サスペンス小説の得意なウールリッチという作家がいるが(今までこのブログに何回か書いてます)、彼などは、本人が書いた「ウールリッチ筆の自伝」が信用ならないのである。(見る人が見れば明確に嘘だと分かる)それも、何のために嘘を書いたのかさえ、良く分からんのである。芭蕉の「奥の細道」の虚構なんかは、明らかに文学的虚構と思えるが、ウールリッチのそれは、本当に目的が分からないのである。(そう思わせることが目的だったのかもね)
表現者というヤツは、こういうことをするのだ。だから、表現者の言葉を、額面どおりに受け取るのは、非常に危険なことである。

かく言う私も、年に数回は、自作について「正しくない情報」を流すことがある。
己の名誉にかけて誓うが、それは、親しい人や、このブログにきてくださる人に向けて流されることはない。それのほとんどは、草月会館の中か、展覧会の会場で流されるのだ。

私は、目で見てわかる表現について、言葉での伝達を求めてくる人に会うと、「何でもええわい」と思うクセがあるのである。特に、コムツカシイことを言ってこられると、心から「何でもええわい」と思い、それが「正しくない情報」につながっていくのだ。
私は「ウールリッチ風うそ」を言ったりはしない。ただ、相手の言うことに、無責任にうなずき始めるのである。
向こうの言うことに「そうです、ああそうです」と言い始めるのだ。
楽なんだよ、これが。
皆さんにも、超おすすめする。相手は、絶対に納得して帰るからね。
え、変なことを信じて帰られちゃうだって?

そんなの、後は野となれ山となれさね。

しかし、上にも書いたが、私がこのブログで書く自分の創作のことは、神にかけて真実である。
誰が、わざわざPC開いて、ブログサーバーにログインして、嘘の創作体験を書かなきゃいかんのよ。その労を厭わないなら、コムツカシイ質問者にも、事細かに回答するってものだ。
そして、再度確認するが、私は言葉が必要だと思ったことに関しては、「適当なうなずき」などしないのである。

困るのは、草月の出版部が「自作のコンセプトを書け」と言ってくるときで、これが私の「適当なうなずきポイント」に当たるのよね。今まで、かなり適当に流してきたのよねー。

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